山行報告(記録:庄司)



(1)参加者: CL.河合(装備)、SL.江本(車輌)、大石(食料)、宮永(食料)、長浜(食料)、

増田(車輌)、手崎(装備)、須山(装備)、森内(車輌)、庄司(記録)。


(2)山域: 奈良県/大峰山(大普賢岳)


(3)目的: 雪壁・氷壁を含む冬山


(4)行動記録(交通手段:自家用車3台利用、河合車/江本車/森内車)


◎2004年03月13日(土)天候(快晴無風)(河合車:午前10時、阪急西宮北口集合)

/午後0時半、奈良県下市のスーパーで買い出し。

/午後2時45分、和佐又山ヒュッテ着。テント設営。

/全員で、和佐又のコルへの取り付き手前まで偵察後、夕食(豪華寄せ鍋)。

/午後9時頃思い思いに就寝。


庄司は集合場所を、当初の山行計画書どおりの、「JR西宮」と思いこみ、Oiさんまで同じ場所に集合するなど、河合車に半時間のロス発生させ、他の方々に迷惑をおかけしました。

車中では、前回の芦屋RCアイゼン訓練の話と、訓練後のMaさんによる深夜の自転車放り投げ事件で盛り上がったようだ。

アイゼントレに参加できなかった庄司は、個人的なアイゼントレを2回おこなった。

それは平日の深夜にヘッドランプを点け、アイゼン/プラ靴姿で、1時間弱、河川敷を徘徊する変なオジサンであったが、皆には黙っていた。

スーパーでの食材買い出しは段ボール箱に2箱に達した。

酒屋でも大量に天国飲料を購入するなど、神戸労山のエンゲル係数の高さに戦慄した。

吉野まで、名阪高速の法隆寺ICから一般道路を南下した。

カーナビを駆使し、空いている一般道を上手に使って比較的早い時間に下市(川上村)まで到着した筈だ。

奈良への自動車登山は、ルート選定が重要であると思った。

奈良への山行予定者は、経験者と良く相談し、合理的なルートをキッチリ選定するべきだ。

先週末の大雪もあり、全員期待していたが、今週いっぱい続いた好天のため、ヒュッテ到達まで、積雪を見ることができなかった。

ヒュッテは、スキー場も併設しているが、最大で20センチほどの積雪だった。

Naさんが、プラスチック製の小児用ソリを購入し、ゲレンデを疾走していたのが、若さ一杯で、素敵だった。

夕食の美味しい寄せ鍋は完売だった。いつも食べてばかりで申し訳ないことです。


◎2004年03月14日(日)天候(快晴無風)(河合車:午後7時半、阪急西宮北口解散)

/午前4時半起床、午前5時半朝食(豪華卵雑炊)。

/午前7時、ヒュッテ前出発。

/午前8時半、石の鼻に到達。


雲一つない青空だ。

出発時、月だけ一人、和佐又山の上で白く光っていた。

南面の斜面は、地肌が茶色く、もう春なのだ。

でも、日陰にはしっかり雪が残っている。

和佐又のコルまで一気に上がり、なだらかな尾根のブナの廊下を通って、最初の鉄梯子手前をトラバースのため、アイゼン装着。

大峰山には、「靡(なびき)」と呼ばれる行場がたくさんある。

大峰山の奥駆道から外れた大普賢岳は、いわば、靡の山である。

有名な窟(いわや)群の天井にはツララがビッシリ生えている筈だが、全部溶けていた。

クライマーの悪戯であろうか、窟のオーバーハング部分に打ち込まれた残置ハーケンを皆さん、観察したりする。

石の鼻から先は、充分以上の積雪があり、一同安心する。


/午前10時、奥駆道への合流地点から上、大きな雪庇ができており、雪庇を迂回して、大普賢岳山頂に到達。

雲一つない快晴無風の春霞のなか、紀州大山塊の真ん中に一同、立ちつくす。

庄司は今回で3回目の大普賢岳行きだが、ようやく好天に恵まれ、ひたすら呆然としていた。

早駆け登山客も数人上がってきた。


/午前10時40分、下山開始。下山が一番難しいなと思った。

滑落しないよう、慎重に降りていく。今回は往復ともザイル確保は無し。


/午後0時半、和佐又のコルに到達。

たっぷり休憩したが、時間もある事だし、和佐又山へ登るなどノンビリする。

好天と積雪量の少なさ、リーダーのルートファインディングの確かさで、計画よりも早く下山できた。


/午後1時半、和佐又山ヒュッテ到着、テント撤収。帰路は渋滞多く遅れぎみだった。


(6)山行の感想。

大普賢岳は、鉄梯子と鉄廊下からなる岩稜の山である。

積雪量は期待したほどではなかったけど、か細い登山道(夏道)の上には、充分な積雪が残っており、氷化したり、ところどころ鉄梯子が露出していたりで、気の抜けない雪道だった。

下は急斜面なので転落したら停止できず危険である。

あらためてアイゼントレの重要性を感じた。

庄司には、本格的なミックス(雪+氷+岩)の経験はないが、レベルアップできたと思う。

慎重なアイゼンワークに神経を集中させて登山した。

メンバーと好天に恵まれ、充実した山行だった。