加賀大聖寺川大日沢ー大日山
記丸尾
日程:2004年6月23日、晴
パーティ:L丸尾、楜桃田、江本、手崎
大日山から流下する大日沢の計画を知った。神戸労山パーティも今年1月の冬に縦走した尾根の間の沢でどんな所か興味を引かれた。平日であるが会員にも呼びかけ交流沢登りを計画した。神戸労山、溪游会、山旅会、ブナの木会の4パーティ交流沢登りで各会ごとの責任で遡行した。参加者の女性が高巻き中に滑落し、一人が付き添い下山し病院で診察を受けたが、打撲傷との事で大事に至らず幸いであった。肩を岩ぶっけたが、頭部はヘルメットで無事であった。(ヘルメットはしっかりと着用し、頭からずれない事が大切)
6月22日、晴
北陸道福井北ICから416号・346号を通り平成10年10月に廃村の真砂(まなご)町集落跡に23時に着いた。途中、蛍が見られ、しばし、都会の明かりを忘れ優雅に飛び交う蛍に見とれた。河内南谷林道との分岐が小広場になっておりテントを張り、他の会とアルコールとつまみを持ち寄りしばらく談笑した後、仮眠した。
6月23日、晴
大日沢沿いの林道はロープのゲートがしてあった。ロープをくぐり林道を進むとログハウス風の建物と近くに鳥居があった。そこは得助新道の登り口で大日山登山詳細図の案内板があった。しばらく進み、池洞新道の登山口を右に見送り、朽ちかけた木橋を注意して渡ると地形図にある大きな堰堤に突き当った。この堰堤を右岸から越えるとそこが入渓点であった。
淵のある2条2m滝を胸まで浸かって直登し、7m滝の右をロープを使用して登っていた時、左岸より高巻いていた女性が滑落し、右肩を負傷した。湿布とテーピングをして、落ち着いてから一人が付き添い、下山して病院へ行くことになった。(レントゲン検査の結果は骨折やヒビは無く、打撲だけで幸いであった。)
その後、大小の滝を直登したり、高巻いたりして溯行して行くと左岸の枝沢よりスラブ滝20mがあらわれ、ここを過ぎると快適なナメ滝が次々と出てきた。先頭を溯行していると岩魚が足に当たり逃げていった。この沢は禁漁の谷として岩魚を保護しているそうだ。真砂町集落跡付近の大聖寺川はキャッチ&リリースの看板が所々に見られた。
標高1040m付近で昼食にした。我々は行動食を食べていたが、他の人は暖かいラーメンを作り食べていた。冷えた身体には良と思った。沢巾も狭くなり源流に近づいたらしくどんどん高度をかせぐと藪漕ぎも無く標高1245mあたりの登山道に出た。そこから登山道を登り20分で広々とした大日山(1368m)頂上へ着いた。頂上からは遠くはかすみ、あいにく白山は見えず残念であった。5月頃、頂上近くやカタコガ原では群落しているカタクリの花が見られるそうだ。果物をご馳走になり、沢靴から水にふやけた足を解放して頂上を後にした。
笹原状のカタコガ原を通り加賀甲(1312m)に登ると大日小屋に着いた。避雷針のある立派な避難小屋であった。近くにある古いかまぼこ型の避難小屋は草に覆われ使用は出来ない。カタコガ原の登山道脇にはナルコユリの花が所々に咲いていた。今年1月、神戸労山パーティは南西の尾根に入り込んだと記録にあったが、今は笹原にしっかりと登山道があり迷う事もない。雪に覆われていれば笹原状の目標物のない所ではコンパスで方位を確かめる事が必要だろう。
下りの池洞新道は樹林の下の良い登山道だが高度がなかなか下がらず、急な下りは滑りそうになり膝に負担がかかった。途中、ササユリのピンクの花が目を楽しませてくれた。下山後、山中温泉総湯菊の湯(入浴料350円)で疲れを癒し神帰した。
<地形図>1/25.000図:龍谷
<コースタイム>真砂町集落跡6:55→堰堤7:35−7:45→滑落者の応急手当8:10−8:55→標高800m付近(休憩)10:30−10:40→標高1040m付近(昼食)12:30−13:05→登山道(1245m)13:50→大日山(1368m)14:10−14:35→大日小屋(加賀甲)15:00−15:10→池洞新道の標高640m付近(休憩)16:00−16:25→真砂町集落跡16:55