山行記録
記 庄司
(1)参加者: CL.庄司(記録・会計)、SL.増田(装備・食料)、北口(車輌)。
(2)山域: 北アルプス/槍ヶ岳(北鎌尾根)
(3)目的: バリエーション縦走
(4)費用: 約1万4千円/1人。
(5)行動記録(交通手段:自家用車1台利用、北口車):往復850km。
◎2004年08月10日(火)天候(快晴無風)(北口車:午後09時30分、阪神今津駅南にて集合)
◎2004年08月11日(水)天候(快晴無風)
午前02時15分、沢渡大橋そばの市営駐車場に駐車。盆休みを微妙に外した?お陰で、大した渋滞もなく、此処まで快調に走ってこられた。車中泊。
午前04時30分、起床。コンビニ弁当で朝食。
午前05時30分、上高地シャトルバス乗車。往復\1,800円。車中から、三谷会長・黒田事務長へ、登山連絡メールを送る。
午前06時、上高地着(標高1,500m)。登山届を出し、10分後出発。沢渡で水を補給する事を忘れ、慌てて売店で水を購入したが、ここ上高地ルートは、水場は豊富であり、途中補給するのに何ら問題はない所だった。
午前07時、明神池(標高1,529m)。平坦な河原道。
午前07時30分、徳沢園(標高1,562m)。好天もあって、穂高の稜線がきれい。
午前08時20分、横尾山荘(標高1,600m)。屏風岩を遠望する。
午前09時30分、槍沢ロッジ(標高1,850m)。ここから傾斜がきつくなる。槍の穂先がチラチラ見える。
午前10時30分、水俣乗越への出合に到着。此処から人がいなくなり、槍ヶ岳山頂まで、我々3人の世界になる。
水俣乗越から見おろす、「北鎌尾根(左)」、「高瀬湖(中央)」。
ここから、つづら折りのガレ場を下って、天井沢(中央の白い部分)へ下降する。
北鎌尾根の2番目のピークとの凹面が、「北鎌のコル」。
午前11時30分、水俣乗越(標高2,500m)へ飛び出す。青い高瀬湖が見える。高瀬湖の上に、針ノ木岳が浮かんでいる。快晴無風の良い天気だった。
午前12時、水俣乗越発。苦労して稼いだ高度を、此処で全て吐きだし下降する。急なガレ場の下降は恐ろしい。慣れない河原の大石歩きも、苦痛だった。北鎌尾根ルートは、沢登りと岩稜登攀のルートである。中途の沢から、湧き水があり、喉を潤す。沢の水は有り難い。
午後01時30分、北鎌沢出合まで至るも、庄司の読図の感覚は不十分なので、位置を確定できず、どんどん下流を探索してしまう。
午後04時、たいへんな大回りの末、位置を確定できた。申しわけありませんでした。読図感覚は、身体で覚えるしかないのだろう。たいへん疲れた。テン場を定め、焚き火・ツェルト設営…ここは沢なので、蚊が多い。焚き火には、蚊遣りの意味もあった。その後…酒盛り。「槍でもテッポーでも持ってこい」と吠えながら、ひっくり返って就寝。
◎2004年08月12日(木)天候(快晴無風)
午前04時、起床。軽量化のため、シュラフカバーのみ就寝のため、一晩中寒かった。夏とはいえ、明け方には気温が8〜10度に下がる。増田さんは、風邪を引いたみたいで、下山するまでクシャミ連発だった。夏の高山は寒いものだ。暖かい雑炊をいただき、ようやく人心地を取り戻す。
午前05時20分、出発。ヘルメットと、ハーネス着装。庄司は、ザイルを持つ事になった。ハーケンも手渡された。ハンマーも持ち、これら登攀道具の重さをあらためて感じた。これらは使うに越した事はないのだが…。単独行の登山客が現れて、先に出発していった。単独行者とは、北鎌独標まで、追いついたり追いつかれたりのペースだった。
午前06時10分、北鎌沢右俣で、最後の水汲。庄司は2L汲んだが、多少重くても、4L持つべきだった。水が無いと精神的な余裕がなくなる。特に、好天の炎天下では…。我々のペースは、やや速いみたいで、半時間早く出た単独行の先行者を、最終的には、完全に振り切った。後日聞いたら、単独行者は、北鎌平でピバークしたそうだ。
午前07時30分、きれいな岩壁を登攀後、北鎌のコルへ飛び出す。右俣をできるだけ右の方へ登攀するのが正解ルートだ。ここには、神戸大学の遭難レリーフがある。
午前08時、P8着。快調。
午前08時40分、P9着。だんだん苦しくなってきました。
午前09時30分、独標の下へ着。ガレ場を越し、重ねてガレ場を越していくパターンで、ぜんぜん距離が縮まらない。
北鎌尾根に立ち塞がる、「北鎌独標」。
独標の右面に槍ヶ岳がチラリと見える。独標を越えてから、槍ヶ岳が全貌をあらわす。
午前10時30分、独標を右側からトラバース。悪路に苦しむ。途中、庄司の判断でザイルを出すが、北口さんはノーザイルで越えて行かれた。この辺から、岩場でのホールドの感覚に自信がなくなってきた。それほど、ホールドが脆く崩れやすいのだ。後続者に浮石を落とすのが恐ろしく、足も、手も、身体全体が固まってしまうのだった。六甲のゲレンデでは味わう事のなかった苦しい感覚である。この感覚のまま、槍の穂先まで縦走した。
午前12時、P12着。ルートファインディングのコツが判りかけてきた。遠くの目標(ルート)を起点に、自分の今いる所へ結びつけていくのだ。
午後01時15分、P13を右側からトラバース。悪路に苦しむ。苦しくバテバテになり、休憩の度にうめく。槍ヶ岳が大きく黒くみえてくる。
独標を越えて、槍ヶ岳が近づく。
午後02時35分、北鎌平の右側下へ着。ガレ場を左へ越えていく。
午後03時30分、大槍の下へ着。逆光で、どす黒くなった槍ヶ岳が、威圧するように大きく上から被さってくる。体力の限界を感じ、長めの休憩をとる。庄司の飲み水が無くなった。増田さんがポカリを作ってくれた。ありがたく頂く。疲労のため、足が震える。気力で登るしかない。
午後03時45分、北口さんが「庄司さん、トップで行けますか?集中力ありますか?」と厳しい表情で質問する。「行きます」と応じる。必死で大槍を登攀する。最後の詰めの部分で、登り口が判らなくなる。左側のルンゼから行く(正解)か、真ん中側のルンゼから行くか?。シュリンゲがたくさんぶら下がっているが、冬季登攀用のものであり、参考にならず、腐っている可能性もあり、信用できないと北口さんに伺う。庄司は足に来ている為、増田さんが左側のルンゼをトップで登る事になった。増田さんは快調にザイルを延ばしていく。ワンピッチであっさりクリアした。マルチピッチになると思っていたので意外だった。頂上まで、ホントあと少しだったのだ。
午後04時、登頂。祠の後ろにでた。夕方だったので、山頂には人が少なく、良い雰囲気だった。登山客が1人、「北鎌ですか?」と拍手してくれた。足にきているので、下山できるかどうか不安だった。山頂から下へ、垂直な鉄ハシゴがあったので、思わず「懸垂下降で降りたい」と漏らし、失笑を買った?。
午後04時30分、槍岳山荘テン場へ着。ビールを飲みながら、夕陽にあかあかと燃える槍ヶ岳を見る。増田さんが「荒々しいね」と感嘆する。「その通りだ。でも、ここから見る槍ヶ岳は、まだ平和だ…。北鎌側から見る槍ヶ岳の方が、黒く威圧感があって恐ろしかった」と庄司は思う。山頂のテン場で、ツェルト設営。槍岳山荘で、ウィスキーのポケット瓶を購入するも、極度の疲労のため、苦しくて飲めず。早々に就寝させていただく。
◎2004年08月13日(金)天候(快晴無風)
午前05時30分、起床。山頂付近でもあり、北鎌沢出合よりも、一晩中寒かった。明け方気温は8度以下の筈だ。軽量化のためのツェルト宿泊だが、山頂での使用は、夜通し、風も吹き抜けて素通しに近く、じかに露営するような印象だった。しかしツェルト泊も飾らない感じでいいものだと思った。暖かい雑炊をいただき、ようやく人心地を取り戻す。昨日の疲労は取りきれたようで、安心する。
午前06時45分、出発。人のいない北鎌とはうってかわった、人ごみの槍沢縦走路を下山する。登山路があるという事が、こんなに歩きやすく楽である事に気づかされる。しかし、しかし、だからといって、トレーニングを兼ね、猛スピードで競歩で下山する神戸労山隊は、ヘンなおじさんだったと思う。
午前08時40分、水俣乗越の出合。
午前09時15分、槍沢ロッジ着。
午前10時30分、横尾山荘着。
午前11時30分、徳沢園着。
午前12時、明神池着。
午後12時50分、上高地着。三谷会長・黒田事務長へ、下山連絡メールを送る。シャトルバスで沢渡大橋へ戻る。駐車場隣の「ペンション・シルフレイ」にて、沢渡温泉入浴(\350円)。良心的な価格設定だ。
午後03時、沢渡を出る。中央道の事故渋滞(1時間半以上)、午後10時阪神今津帰着。おつかれさまでした。
(6)山行概要
庄司・増田とも、槍ヶ岳山域は未経験であったが、一般登山路を縦走する考えはなかった。普段から、RCトレには積極的に参加していたし、自主体力トレもおこなっており、練習実績を積み上げた経験を生かしたかった。
最初の計画では、名児耶リーダーとし、名児耶企画で、トレーニングをおこなった。バリエーション縦走という事もあり、入山前トレを綿密におこなった。名児耶さん、御礼を申し上げます。
トレ自体は、メンバー相互の意思疎通も兼ねるが、聴覚障害者である庄司の特殊事情も考慮された。それは、たとえば、RC諸動作に於けるビレイコール等の手順の統一であった。
しかし名児耶負傷により、企画継続のため、庄司リーダーとなり、オブザーバーとして、北口さんが入られた。北口さんが入られた後、北口さん指導によるRCトレをおこなった。北口さん、御礼を申し上げます。実践的なクライミング指導を受けられた事は、幸運であった。
庄司リーダーという体裁は、未経験者への実質的訓練だった。大いに勉強になった。山行中、常に先頭に立って歩かねばならない事は、万事、苦痛の連続だった。また、体力的には充分以上に鍛えていたつもりだったが、更なる鍛錬が必要と理解させられた。具体的には、筋力の強化である。ランニングだけでは、筋力の強化を行えないと、北口さんから指摘された。
増田さんにとっては、「北鎌が、夏山修了山行」(笑)だったけど、素晴らしく、こなしておられた。槍ヶ岳山頂直下でのリード・セカンドの確保は、増田さんの自主性と能力のたまものである。
計画の最初から、3ヶ月間のメンバーの集中と、北鎌尾根の苦痛な縦走、そして、槍の穂先という、プロミスド・ランド(約束の地)まで登攀する…、印象的な山行だった。3日間も好天(=「炎天」ともいう)に恵まれ…同行者にも恵まれ…素晴らしい山行でした。
この山行に携わった全ての人々に、あらためて感謝いたします。