2.山域・ルート大川、高岡
3.交通手段北ア・新穂高 〜槍平〜中崎尾根〜槍ヶ岳(ピストン)
4.行動記録
<入山日2012年11月23日 下山日2012年11月25日>5.山行中の問題点・事故に繋がる要因
11月22日(木) 20:30大川邸出発→21:00高岡邸→翌 2:30新穂高駐車場 車中泊 11月23日(金) 6:30起床→7:00新穂高(H1200)出発→穂高平→白出沢出会→チビ谷出会→13:00槍平(H2000) →17:00中崎尾根稜線(H2330) テント泊(行動10時間) 11月24日(土) 3:30起床→5:00中崎尾根(H2330)出発 →中崎尾根2500m地点→千丈乗越→西鎌尾根→11:50槍ヶ岳山荘⇔槍ヶ岳(H3180)13:00槍ヶ岳山荘→西鎌尾根→17:00中崎尾根(H2330) (テント泊)(行動11.5時間) 11月25日(日) 3:00起床→5:00中崎尾根(H2330)→6:00 槍平 →白出沢出会 →10:00新穂高(行動5.0時間) →入浴後 帰神18:00
6.山行の問題点、今回の教訓
a. 予定のルート・日程で行動出来たか 予定ルートをはずれた場合あるいは日程が異なった場合はその理由 ・ 24日、25日とも予想以上のラッセルが続き、予定通りの行動を消化するのに日没(17時)となってしまった。b. 事故に繋がりそうな要因(ヒヤリハット)が発生したか 発生した場合は具体的に記す ・下山時、大川が滝谷渡渉時岩に右足を置いたとき、岩が濡れていたためスリップし、右足のすねを打ったが、怪我はなかった。もっと慎重に足を置くべきであった。c. )パーティーで、山行中の事故に繋がる要因につき、山行後検討したか? ・なし
@槍平から奥丸山の稜線へ出るまでの高度差300mの急登。トレースなく、雪はまったく締まっておらず(積雪50〜100cm)、ラッセルに非常に苦労した。日没が近づいたため、途中で露営を検討したが、我々のトレースを追ってきたパティ(2名)があり、そのパーティと協力して、17時過ぎにやっと稜線に出ることができた。夏道のコースタイムで1時間のところを4時間を要した。(ワカンのラッセル)このラッセルで二人とも相当の体力を消耗した。
A二日目の中崎尾根もトレースなくラッセルが続き、ペースが遅くなり、登頂が危ぶまれたが、後から若者4名のパーティが追いつき、協力しながらラッセルを行い、ペースが戻った。
B標高2,500mから標高2,700mの千丈沢乗越までの急登は我々独自のコース取を選択したため、またまた厳しいラッセルを強いられた。(この部分からアイゼンに履き替える)
C標高2,800m~槍の肩までは、前日奥丸山の稜線に出るまでに協力しあった2人組みのパーティが先頭でトレースをつけてくれた。体力的に非常に厳しく、自分たちが決めていたタイムリミット午前12時の僅か10分前(11時50分)のやっとのことで槍の肩に到着。
D槍穂の登下降はハーネス、登攀用具一式を装着していった。雪が適度に固まっており、特に問題なく登頂できた。ザイルでの確保は必要なかった。
E槍の肩からの帰路の出発が計画より2時間遅れたため、テントに到着したのが17時となってしまった。
(天候)
・23日は出発時から小雨が降り続き、夕方ようやく回復。24日は早朝は小雪、昼前から天候回復するも風強し。
・24日夕方から25日は無風快晴。
(感想)・入山者が我々2人だけでは、登頂できてなかったと思う。後から来た2パーティとの協力あったから、登頂成功した。
・槍・穂高連峰の冬山の体力面・気力面の厳しさを実感した。入山には相当の覚悟が必要。
・中崎尾根から見る飛騨側の槍穂高連峰は、滝谷等厳しい景観が圧巻だった。特に24日夜快晴の月明かりでみた幻想的で人を寄せ付けないような景観が脳裏に焼きついた。
・今回は若くて体力のある高岡さんとパーティを組めたことと、事前に下見をしていたこと、天候が回復基調であったことも功を奏した
・また一つ目標を達成できたことに感謝します。ありがとうございました。
・余談ですが、槍平に行く途中で、生まれて初めて熊を目撃した。意外とかわいかった。
報告者
大川 2012年11月27日