3度目の挑戦で頂上に立つ

北口記

1991年1月、2002年3月、鳥海山北面・赤川の東からルートを取り頂上を目指した。1991年は1650-1700m付近までルートを延ばしたが、風雪のためそこから撤退を余儀なくされた。2002年も風雪のため1300m付近から撤退した。2度も挑戦して2度とも敗退した山はこの鳥海山だけである。積雪期になるといつもこの山が気になる。頂上に立たない限り気持ちが落ち着かない。

今回最後の挑戦と心に決め、移動性高気圧の張り出しを待って出発した。約6kmの林道歩きでの体力の消耗を最小限に抑えるため山スキーを利用した。788mのピーク手前の急斜面でスキーをデポし1113mのピーク付近までルートを延ばし、そこをテントサイトにした。2日目薄曇りの中テントサイトを出発した。雪はかなりしまっており歩きやすい。風の吹き付ける斜面は1100m付近ですでに氷化しておりアイゼンを慎重に利かし登高した。1700m付近から頂上はすぐ近くに見えるが、斜度が増しスピードが落ちるせいかなかなか近づいて来ない。さらに解けた雪が強風のため氷化しほぼ斜面全体がアイスバーンと化している。その上に新雪が積もりアイゼンの利きが悪くなる。

頂上付近は冬山である。下降時ロープで確保しなければ滑落の危険を伴いそうである。確保支点を探すが何もない。ピッケルとバイルでなんとかなるだろうと漠然と考え頂上を目指す。幸い風がほとんど無い。斜度が増した斜面をアイゼンの前歯2本で駆け上がる。大腿部の筋肉のきしみを感じだす。
前方の視界が突然消える。そこは頂上であった。裾野が広大に広がる懐の深い山である。地形が複雑で、風雪で視界が閉ざされると、地図と磁石だけではとうていルート取りが出来ない山である。前回2回の敗退は当然であろう。

下降時ロープを4-5ピッチ繰り出す必要がありそうだ。それだけで1-2時間費やすだろう。早々に頂上をあとにして下山を開始した。2ピッチ、ロープで確保した。メンバーの下降の足取りは安定している。これ以上ロープを繰り出す必要はない。3時までにはテントサイトに帰幕出来る、と思うと急に気が楽になる。長いルートをひたすらテントサイトをめざし黙々と下降した。

この山も我々3名だけの静かな山であった。


 坊垣 記

 氷化した急斜面にアイゼンのツァッケを打ち込むように、慎重に歩を進める。鳥海山の頂上はもうすぐそこにある。

 この山に挑むのは今回が3度目。1度目は十数年前の1月、厳冬期とは思えない晴天に恵まれ、頂上まであと標高差約500mのところまで達したものの、一夜にして天候が一変し、雷鳴とどろくなか「命からがら」逃げ帰った。冬山の美しさと怖さを思い知らされた思い出深い山行である。2度目も悪天に見舞われ敗退した。

鳥海山は山形と秋田にまたがる、コニーデ型の優美な山容を持つ火山である。その裾を緩やかに日本海に落とす分、山頂に近づくにつれ傾斜を急激に増す。今回も前の2回と同じルート、中島台から鳥海山の北面を抉る外輪山の東の縁に沿って頂上に向かう。遠目には整った山容を持つこの山の地形は意外に複雑で、1200m付近の台地から上は、急峻な雪面を抜けたと思うと緩やかな広い雪面が拡がり、さらに急峻な斜面が現れ・・・地形図では捉えきれない。それでもこの日は曇天ながら視界は十分で迷うことなく、3度目の鳥海山は氷の鎧をまといながらもようやく私達を山頂に迎えてくれた。丸いドーム型の新山も外輪山の岩稜も真っ白い氷雪に覆われ、荒々しい冬の姿を露わにしていた。巨大な氷の造形はカメラに収まりきらず、目にしっかりと焼き付けて山頂を後にした。

長い刻をかけて登った山は、その充実感も長く続くものかも知れない。下山してから何度も地図を眺めながら山の様子を思い出して地図上をトレースしたり、十数年前の写真を見ては山行を反芻している。写真の山の姿は変わらないが、時間は確実に流れている。それでもこの間、山への意欲は変わらず、むしろある意味で深まっているように思う。そしてこうして山に登り続けることが出来たこと、共に登る仲間がいることの幸せを思う。

山行報告