紀行文

  エベレストのネパール名「サガルマータ」とは「宇宙の頭,大空の頭」というような意味だそうだ。カラパタールの丘からは、世界最高峰のエベレストを目の前に仰げる。雪煙をあげながら、真っ青な空を突くように聳えている雄姿に思わず息をのんだ。また、トレッキングの随所で、壮大なスケールの白峰の数々を間近に見て、その迫力と美しさに深く感嘆した。そして、それらの感動もさることながら、現地のシェルパさん、コックさん、ポーターさんたちに大変お世話になって、彼らと一緒に歩いて過ごした毎日が、何よりもとても楽しかった。ルクラ〜カラパタールの道は、人か高地牛(ゾッキョ、ヤク)しか歩いてなくて、そこに暮らす素朴で温かい人々がいて、ゆっくりとした時が流れている、別世界のようだった。

  10/18快晴 カトマンズより、定員20人程の小さな飛行機でルクラに向かう。視界良好、左にヒマラヤの雄大な山々が見えてから暫くすると、遠くにエベレストが見えてくる。間もなく、段々になった山の斜面に建物が見え、ぶつかるかと思ったらそこがルクラの空港だった。200 〜300mくらいの短い滑走路1本と、小さな飛行機が数台待機できる小さな小さな空港。ここから旅は始まる。現地スタッフと合流し、いよいよトレッキング開始。ロッジや土産店の並ぶ通りを抜けると、のどかな山村風景が広がる。段々畑や石積みの家、マニ石(チベット仏教の経文を彫った石)にタルチョ(経文を印刷した祈願旗)、あぁネパールだ!と実感する。途中で昼食をとり、ドゥードゥーコシ(川)の流れるV字の谷に沿って山腹の山道を歩き続ける。吊橋を渡ると、川沿いに立つ石造りのロッジに着いた。パクディン(2,610m)泊:ロッジ

10/19快晴 松や杉などの樹林帯を行くと、V字の谷の奥に、白く輝くタムセルク(6,608m)が見えてくる。サガルマータ国立公園のゲートで入園手続きを済ませて、ジョサレの先の河原で昼食をとる。ボテコシ(川)との分岐の先で吊橋を渡ると、600mの登りが始まる。ゆっくりゆっくり歩いて、ナムチェバザールに着いた。シェルパの里で、道中では一番大きな町だ。西にコンデリ(6,187m)が大きく聳えている。「おぉ・・いよいよ高峰に迫ってきたぞ!」と、嬉しくなってきた。

ナムチェバザール(3,440m)泊:ロッジ  SpO2=84%、脈拍数=100

高度障害:夕方から軽い頭痛 →翌朝には治まる

 10/20晴れのち雨 高所順応のため、村はずれの国立公園博物館とシャンボチェの丘に行く。丘はエーデルワイス、リンドウに似た花など、小さな可愛い花がたくさん咲いていた。逆光のタムセルクも美しい。丘の上部は視界が開けて気分爽快!アマダブラム(6,856m)は、着物の裾を広げて座るお雛様のような綺麗なシルエットで、山頂は優しい丸みを帯びている。その左奥にはローツェ(8,414m)。丘の上のホテルエベレストビューに着くと、テラスでお茶を飲み、山々の眺望をゆっくりと楽しんだ。

ナムチェバザール(3,440m)連泊=高所順応日 SpO2=93%、脈拍数=80 高度障害:特に症状なし

 

 10/21晴れ ナムチェから山腹の道を行く。落ちついた色ではあるが紅葉がきれいだ。黄色く色づいた木々の奥に、白いアマダブラムやタムセルクを大きく仰ぎながら歩く山道は、とても気持ちがいい。吊橋を渡ってプンキテンガで昼食をとった後は、600mをゆっくり登ってタンボチェに着き、ゴンパ(僧院)のすぐ近くで幕営した。ゴンパの北にはクンビラ(5,761m)が聳え、前の広場は開けて眺望が良い。南にはカンテガ(6,685m)とタムセルク(6,608m)が大きく迫り、西にはコンデリ(6,187m)が迫る。北東に見えるローツェやアマダブラムも、だんだん近づいてきた。

タンボチェ(3,860m)泊:テント  SpO2=81%、脈拍数=100  高度障害:特に症状なし

10/22快晴 静寂な夜明け、周囲にある雪の山々は、白く浮かび上がり、朝の光に美しく輝きはじめる。よく見るとローツェ(8,414m)の左に延びるなだらかな稜線の奥に、台形に、少しだけ頭が見える。あれがエベレスト(8,850m)!実は昨日もおとといも、ローツェの左にずっと見えていたその存在を、今になって知る。朝日が射して、エベレストとローツェの稜線がオレンジ色に光る。そして空がだんだん青くなり、西のコンデリは眩しいほどに白く輝きだす。高度順応にゴンパ(僧院)前の丘に登る。広場からの眺めも良いが、登るにつれてさらに眺望が良くなる。ほんの少し動くだけで、山々の見え方は全く変わる。上部の斜面は凍っていて、ストックをテントに置いてきたことを後悔する。危なげに歩いているとシェルパが手をひいてくれた。頂上(約4,200m)は360度の大パノラマで、タムセルクとカンテガは大迫力。他の山々も下から見るより遥かに迫って見え、天に近づいたような気分だ。ゆっくりと眺望を楽しむ。下る時は凍っていた斜面が解けて、濡れて滑るのでもっと怖かった。シェルパがまた手をひいてくれた。夕方はエベレストの頂が夕日に赤く染まり、美しかった。

タンボチェ(3,860m)連泊=高所順応日 SpO2=84%、脈拍数=90 高度障害:特に症状なし

10/23晴れ 歩くにつれて大きく変わっていく自然の風景、山の見え方、・・毎日がとても楽しい。最奥の定住村のパンボチェ(3,930m)を過ぎると、しだいに樹木の丈は低くなって、イムジャコーラ(川)沿いにさらに進むと、木々は減り、地を這うように低くなって、荒涼とした風景になってきた。谷間が開けて、広々とした河原のディンボチェに着く。集落のように見えるが、数軒のロッジ以外はカルカ(夏期の放牧場)だそうだ。この高度への順応は大変だった。夜中に息苦しくて何度も深呼吸、咳もよく出た。トイレテントは階段を数段上った所にあり、息切れがして一苦労だが・・・気がつくと満天の星空!こんなにたくさんの星を今までに見たことがない。手が届きそうなほど近くに見える大きな星、無数の小さな星・・・降るような星空に、息苦しさも寒さも忘れてしばし見とれる。

ディンボチェ(4,410m)泊:テント  SpO2=75%、脈拍数=91

高度障害:夕方より頭痛、息苦しさ、咳、胃痛 →翌朝には治まる

  10/24快晴 朝には高度による症状は治まり、高所順応にチュクン(4,730m)を往復する。緩やかな登りだが、太ももが筋肉痛みたいな感じで足が重い。少し息も切れる。ゆっくり登ってチュクンに到着した。南にはカンレヤムウ(6,340m)のヒマラヤ襞の縦縞が、青空のもとにくっきりと白く輝いて、屏風のように立ち、アマダブラムへとつながっている。このあたりの風景は、マイルドセブンのCMにも使われたそうだ。北にはローツェ(8,414m)が大きく迫り、南壁がよく見える。東の奥には、マカルー(8,463m)も覗いている。広々として、別天地のような美しい風景を楽しみながら昼食をとり、下山する。下りは息切れもせず楽だったが、テントに戻った後は頭が痛く、体もだるくて眠くなり、夕食まで眠っていた。夜にはまた、息苦しさと咳。この高度での順応が、一番の難関だった。

ディンボチェ(4,410m)連泊=高所順応日 SpO2=78%、脈拍数=92

高度障害:登りで足の重さと息切れ  夕方より眠気、頭痛、息苦しさ、咳 →翌朝には治まる

  10/25快晴 タウツェ(6,367m)とチョラツェ(6,335m)がすぐ左手に迫る。茶色く乾いた土と石と枯れた草・・荒涼とした大地を、ロブチェコーラ(川)の流れる広い谷を見下ろしながら、山腹を緩やかに登っていく。時々振り返ると、谷の奥に白く連なる山々の眺めがだんだん良くなっていく。クーンブ氷河の堆積丘の末端にあるトゥクラで昼食をとった後は、堆積丘を約300m登る。峠には、遭難碑がたくさん並んでいた。エベレスト登山で亡くなったシェルパのお墓と聞いて、身の引き締まる思いがする。天に近く、白く連なる山々が美しく見えるこの場所で、どうか安らかに眠ってほしい。

クーンブ氷河が開けると、きれいな三角形のプモリ(7,165m)が見えた。ロブチェはロッジが数軒あり、テント場の正面にヌプツェ(7,861)が大きく見える。夕映えでオレンジ色に輝き、とても美しかった。

ロブチェ(4,910m)泊:テント  SpO2=77%、脈拍数=83  

高度障害:眠気 →翌朝には治まる  食事をする事に疲れを感じた

 10/26快晴 いよいよ今日は登頂日。まだ薄暗い5時、クーンブ氷河沿いに、広い谷間を歩きだす。砂の下から氷河が覗く。5,000mともなると、かなり雪があるかと思っていたが足元に雪は全く無い。空が青くなると、白い三角形のプモリが映え、直下に三角形の黒い影、カラパタールの丘が見えた。ガレ場を歩いて、ゴラクシェップで休憩の後、砂地の丘を登っていく。このゴラクシェップ(5,140m)〜カラパタール(5,550m)の登りはきつかった。息が切れて呼吸が荒くなり、足が非常に重い。もうダメかと弱気になりかけたが、足取りも意識も確かだったので、ゆっくりと歩き続ける。右手には、ヌプツェに隠れていたエベレストの頭が見え始め、だんだん大きく見えてくる。あともう少し・・。

 やっとの思いで無事登頂! 360度の眺望だ。頂上の岩場は狭く2人ほどしか立てない。多くのタルチョ(祈願旗)が靡いている。タルチョの5色「青、白、赤、緑、黄」は「空、風、火、水、地」を表すそうだ。天に近いこの場所から祈りを捧げると、神々に届きそうな気がした。シェルパに手を引いてもらい頂上で記念撮影後、直下の広いところで眺望を楽しむ。あぁ、ここまで来た・・・目の前に広がる光景を、じっと見つめる。紺碧の空に、天に届くように聳える白く輝く山々は、神々しく美しかった。岩肌の頭を天に突き出して、白い雪煙あげるエベレスト(8,850m)、先がツンと尖って白く美しいヌプツェ(7,861m)。プモリ〜エベレスト〜ヌプツェ〜氷河下流方向へと、素晴らしい大パノラマが広がっていた。ゴラクシェップで昼食をとって、ロブチェに戻る。夜は満天の星空を仰ぐ。

ロブチェ(4,910m)連泊 SpO2=74%、脈拍数=96  高度障害:ゴラクシェップから上の登りは、息が切れて呼吸が荒くなり、足も非常に重かった  食事をする事に疲れを感じた

 10/27曇り 帰りはペリチェを経由する。谷間をそのまま下り続け、広い河原に立つペリチェ診療所の側で昼食をとる。遠く山の奥にチョーオユー(8,201m)の頭が見えた。広い谷間や川沿いは風の通り道になっているのか、1日中、風に吹かれて寒く、緩やかな長い下りを長時間歩いて少し疲れた。

ミリンゴ(3,750m)泊:テント

  10/28晴れ 今日は歩行時間が短くて楽だった。昼前にはテント場に着き、午後はクムジュン村(3,780m)を訪れる。村までの静かな山道は、落ちついて気持ちが良かった。新しい家が多く、かわいい感じのする広い村だった。寺院にあるイエティ(雪男)の頭皮の真偽のほどは・・・?

キャンヅマ(3,550m)泊:テント

  10/29快晴 遠のいていくエベレスト方面の山々が名残惜しく、時折振り返りながら歩く。ナムチェのサーダー(シェルパ頭)の家で、チベット茶をいただく。紅茶の葉を煉瓦のように固めたもの+ヤクのバター+塩。私はちょっと苦手な味。ナムチェの定期市を見学すると、ものすごい人、人、人・・・。米、野菜、果物、お菓子、衣料ほか、日常生活の必要品は全て揃っていて、山間部で暮らす人々の生活を支えているそうだが、人混みに疲れて早々に退散した。昼食後、サガルマータ国立公園ゲート先のモンジョまで下る。夕食後、ロキシー(焼酎)と、チャン(濁酒)を飲む。どちらも結構強かった。

モンジョ(2,835m)泊:ロッジ

  10/30晴れ 段々畑や山村風景を見下ろしながら歩き続け、ルクラのカンニ(仏塔門)をくぐる。13日の旅は無事終了。シェルパは速い人で3日、普通は4〜5日程で往復するそうだが、ゆっくりゆっくり歩いても、遥か遠くに見えていた山のもとまで行けるのだから、人の足ってすごい! 夕方、トンバを飲む。粟が沢山入っていて、お湯を注ぐと何度も(味のなくなるまで)飲める不思議なお酒。

ルクラ(2,840m)泊:ロッジ

 10/31曇り コックたちの作る最後の朝食をいただき、シェルパたちに送られて空港につく。あっという間の13日間だった。よく側にいて手をひいてくれたシェルパ、「ミト チャ!(おいしい)」と言うと何とも嬉しそうな顔をするコック、Kの発音が出来ず、私(きょうこ)を「ちょうこ、ちょうこ」と言って笑いかけてくれた人懐っこいポーター・・・、素晴らしい山々の風景と共に、彼らの笑顔が浮かぶ。彼らがいつまでも元気で笑っていて、またいつか、一緒に歩けたらいいなぁと思った。

「Good luck!」、限りない感謝の気持ちを込め、お互いの幸運を祈りながら、ルクラを後にした。

11/1 快晴  朝もやの中に太陽が、大きなシルエットで浮かび上がる。山地で暮らす彼らも、日本の人々も、この同じ太陽を見ているのだと思うと、何だか不思議な気がした。早朝、マウンテンフライト観光をする。歩きながら間近に見てきた山々を、空から一望できる素晴らしい眺めだった。

首都カトマンズの中心地は、車とバイクの排気ガスがひどく、人混みと物資にあふれていた。あまりの喧騒に、山地で過ごした静かな日々が恋しくなる。山間部と都市部の生活の違い、また、ネパールと日本との違いに、「豊かさや幸せって何だろう」と考えてしまった。価値観は人それぞれだけど、誰もがみんな、不安なく心豊かに暮らせる世の中であったらいいなぁと思った。   (終わり)

トレッキングの1日とスタッフたち

<トレッキングスタッフ> 現地エージェント:ヒマヤラン・ジャーニーズ

現地スタッフ 28名 (今回、日本語の話せる人はいなかった。英語の出来る人は数名あり)

・シェルパ6名、コック2名、キッチンボーイ6名、パーソナルポーター5名、ポーター9名

・ゾッキョ13頭 =牛のような動物。ポーターの倍(約70Kg)の荷物を運ぶ。

 

<トレッキングの1日>  ツアー参加者 = 15名+ツアーリーダー1名

6〜6時半頃  モーニングティーと、洗面用の洗面器1杯のお湯をテントに届けてもらう

6時半〜7時頃 朝食(ダイニングテント)

7〜8時頃   トレッキング開始 貴重品と行動中に必要なもののみ自分で持ち、ゆっくり歩く

 11〜12時頃 途中で昼食 眺めの良い屋外で、またはロッジなどの中で

 15時頃 テント場に着き、お茶の時間

 18時頃 夕食(ダイニングテント)   〜就寝 

<スタッフの1日>

 コックとキッチンボーイは、トレッキング中の全ての食事(ロッジ泊の場合も)を作る。5時頃から朝食の準備。私たちのモーニングティー、洗面、朝食の世話と片付けの後は、調理用具・食器・食材などを背負って、先に出発した私たちを追い抜いて、昼食を作って待っている。昼食が終るとまた、片付けの後、私たちを追い抜いて、幕営地でお茶の準備をして待っている。その後は、夕食の準備と世話と後片付け。重い荷物運びも、寒い中の洗い物も大変で、いつ見ても忙しそう。コックは外人トレッカー用の豊富なメニューを勉強していて、じゃがいも料理や野菜サラダ、モモ(餃子)が美味しかった。焼きたてのピザ、ケーキ、パイも出てきてびっくり。和食のおでん、おひたし、蕎麦も美味しかった。スタッフの食事は、山盛りのダルバート(豆のスープをかけたご飯)に、野菜料理が少し。

 シェルパも早朝から忙しい。食事の世話などの手伝い、テント撤収(凍ったテントもあっという間)、ポーターやゾッキョの荷造り、私たちの出発後はダイニングテントとトイレテントも撤収して最終的な荷造り。2名ほどのシェルパはゾッキョと共に歩き、残りのシェルパは、私たちを親切にサポートしながら、一緒にゆっくりと歩いていた。ポーターやゾッキョは途中で私たちを追い抜いて、先に幕営地に着いている。私たちが幕営地に着いてお茶を飲んでいる間には、シェルパたちはテント設営を完了している。テント泊の間は、夜も交代でずっと起きていて見回ってくれていた。

 

パーソナルポーターは、行動中に必要な荷物を持って、ずっと一緒に歩いてくれるので、契約すれば全くの空荷で歩ける。歩行中もサポート。シェルパやキッチンボーイの仕事もよく手伝っていた。

 ポーターは重い荷物を背負って運ぶ。ゾッキョ使い(持ち主)のポーターは、ゾッキョに荷物を積んで運ぶ。荷造り完了は私たちの出発後になるが、途中で追い抜いて、先に幕営地に着いている。

山行報告書に戻る